ユーフォ:佐々木梓考
前の投稿が8月25日で、「ひたすらグラブルをやっている」という投稿だった。
それから2週間弱の沈黙。何をしていたかというと、ひたすらグラブルをやっていた。
AP・BP半額期間だったので、ひたすら延々とマグナを倒し続けていた。
俺の人生、これでいいのかな……。
本日9月6日、『立華高校マーチングバンドへようこそ』の後編の発売日である。
Pixivに最初にくみれい小説を投下したユーフォクラスタの自分だが、今でもずっとユーフォがメインクラスタで、小説も投稿し続けている。
『響け!ユーフォニアム』は、最後に久美子がまったく何の脈絡もなく秀一と付き合うことになり、その展開がどうしても受け入れられない。
それゆえ、自分と、そしてくみれいの同志のために、くみれい展開の小説を書き続けている。
逆に言えば、原作のラストが秀一展開ではなかったら、自分のユーフォ小説のすべては生まれていなかったかもしれない。
昨日、立華の前編を読んでいて思ったことがある。
本当にふと思ったのだが、自分は佐々木梓があまり好きではないかもしれない。
なんていうか、完璧すぎるのだ。隙がない。目標は高く、そのための努力は惜しまず、弱音は吐かない、甘えない。演奏の能力もコミュニケーションの能力も高い。
はてなにも意識の高い人はたくさんいるが、自分が意識が低くて、なるべくサボりたい性質の人間なので、高い意識で頑張っている人を見ると、なんだか責められているような気がしていたたまれなくなる。
梓は見ていてそんな感じ。青春の輝きとは違う眩しさに、思わず顔を背けてしまう。
そんな梓だが、前編を読むと、(本人も無意識の内に)強がっているような描写がたくさんある。
家庭のことも、母親はよくしてくれるから、不満なんてないし寂しくもない。
あみかのことも、頼られる自分が大好きなのでどんどん頼ってほしい。
これを、いわゆる「普通に」解釈している。
梓は父親がおらず母親の帰りも遅い生活を寂しく思っているが、甘えてもしょうがないし、甘える相手もいないので強がっている。
あみかのことも共依存であり、実はあみかが梓を必要としている以上に、梓があみかを必要としている。
適度な距離を置いて人付き合いをすることを得意とし、友達は多いが親友のいない梓が、初めて心を許した相手。それがあみかである。
そういった描写から、勝手に梓を「強がっている女の子」と解釈し、萌えていたのだが、本当にそうなのか?
さんざんくみれい展開を匂わせて、しかも秀一なんて空気のような扱いだったのに、最後は秀一と久美子をくっつけた作者である。
立華の話も、前編の終わり方からして、梓が孤立していって寂しがって、自分の弱さやあみかの大切さに気が付いて、前以上の関係になるという展開を想像しているが、これまたそんな話にならないのではないか?
普通に梓は強いまま、完璧のまま、言ってしまえば小説の開始時点と何も変わらないまま終わるのではないか?
この作者は天然なのかわざとなのかわからないが、妙に何かを想像させる描写をするが、それがまったく伏線にならない展開をするケースが多い。
今回もそれではないのか?
そう思った時、また期待が裏切られるといけないと思ったのか、自分の想像を取り払い、書いてある内容だけを見た結果、なんだか佐々木梓という強くて完璧な女の子を、好ましく思わなくなってしまった。
くみれい小説をずっと書いている。
展開は原作とまったく違う話にしているが、舞台背景はもちろん、キャラの性格もなるべく変えないようにしている。
中にはキャラの性格をガラッと変えて書く人もいるが、自分はそういうスタイルの二次創作はしていない。読者がなるべく、「こういう話もあるかもしれない」と思ってくれるような話を心掛けている。
先日、くみれい小説の最新作を公開したのだが、その中に梓登場の伏線を張った。自分の想像した「強がっている女の子」の梓を、北宇治チームに絡めるための準備をしたのだが、本当にこの子はそんな子なのか?
後編の展開に関わらず、準備している小説は書こうかなと思っているが、梓が思っているような性格ではなかったら、性格を原作と変えることになってしまう。
もっとも、原作後編が自分の想像通りの展開をしてしまうと、それはそれで二次創作の余地がなくなってしまう。
難しいところなのだが……。
そうこう書いている内にいい時間になった。
後編を買って帰ろう。
あの前編の展開をもって、まったく梓とあみかを軸にした展開ではなかったり、あまつさえ太一と梓とか太一とあみかの恋愛系の話が始まったりしたら破り捨てよう。
前科があるのでまったく信用できない。個人的には、立華は女子高で良かったと思うのだが、太一という男を一人だけ出した作者の意図が不安でしょうがない。