希望のない世界から

消化試合を生きる

最近はヤマノススメにはまっています

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 シンデレラガールズのアニメも終わってしまって、もう生き甲斐もなくなったし死のうかと思ったら、2期が7月から始まると教えていただいたので、生きております。

 

最近はヤマノススメに夢中です。熱中しています。

アニメを全部見た後、コミックも買って、曲も聴いて、今は二次創作小説を書いております。飯能市にも行きたいと思っています。昨日の登頂記念パーティー裏山。

元々山に登っていたので、また山にも登りたいのだけれど、坐骨神経痛がそれなりにひどいので、登るとか走るという行動は慎んでおります。無念です。

 

あおいの達観したモノローグが好きです。この作品の魅力の一つですね。

コミックを読んでいると特に、こいつどれだけ他人を信用していないんだと感じ入ります。極端に「他人」と関わって来なかった人を、とてもよく表現していて、共感を覚えます。

 

ここながパーフェクト可愛いですね。好きです。

アニメでは明るくて少し能天気な不思議ちゃんですが、コミックではそういう不思議な感じはなくて、常に寂しさをまとっています。萌えます。

アニメだと父親の描写が意図的にされていないですが、普通に生きています。

2期の楓回で、ゆうかが死んだか遠く離れてしまったような演出がされますが、結局今でも普通に友達でした。

アニメはああいうよくわからないミスリードがあるので、そこだけは残念です。

 

そんなコミックでもなお、まったく存在が触れられていないのがひなたの母親。

アニメで白浜回を見るに、普通に家族3人で旅行していたようにもとれるのだけれど、コミックではアニメ以上に存在が曖昧です。

妄想の余地があって、二次創作屋には嬉しいのですが、後で何事もなかったかのように登場しそうなので(しかも家の中から普通に)、公式とのせめぎ合いですね。二次創作の楽しさでもあります。

 

あおいとひなたは心腹の友ですね。

今書いている小説、二人がケンカしてひなたとここなをくっつけようとしているのだけれど、原作を見れば見るほど、そういう展開にはなりそうもなく、原作レイプ感があります。

ただまあ、そうは言っても、中学時代は疎遠だったわけだし、富士山の後もひなたの葉書が届いていなかったらどうなっていたのか怪しいので、あおいは常に「一人で内に引きこもるフラグ」が立っているのかなと思います。

 

主題歌の「夏色プレゼント」の歌詞で、ちょっと泣きそうになってしまった部分がありまして。

「10年後 100年後 色あせない思い出 半分持ってて」

この部分なのだけれど、思い出は誰かと共有するものなんだなと。

「スタッカート・デイズ」でも、一貫してふたりでいる嬉しさや喜びが表現されています。

嬉しかったこと、おいしかったものを、話したくなる。

 

夏にまた海外に行こうかなと思っているのですが、一人です。

また一人部屋追加料金を払って、ツアーに飛び込もうと思っています。

中国もイタリアもドイツも、同じように一人で参加しています。

楽しいのだけれど、最後に空港でぽつんと一人残されるのは寂しいですね。

思い出を誰とも共有していない。

 

楓の登山はひたすら自己研鑽的な動機かと思います。

あおいもそれに近い気がします。モノローグで人間的な成長に言及することが多いですし。

ただ、ひなたは登山は目的ではなく、コミュニケーションの手段の一つなのかなという気がします。

Wikipediaのひなたの説明に、「父の影響で登山が大好きだが、経験や知識はまだ初心者」とあるのだけれど、まったくその通りだと思います。

この子、好きという割にはほとんど山に登っていない。

だから、自分から誘っておきながら、あおいを置いてどんどん行ってしまうようなミスもするのでしょう。

 

あと、ひなたは肉体がむちっとしていて可愛いです。

 

明日も生きます。