希望のない世界から

消化試合を生きる

続・ポケモンを知らない俺がポケモンGOをやってみた

f:id:minaryn:20160725101258p:plain

 

土曜日にポケモンGOをやりながら10km歩いてきた話を書いたが、その続き。

 

感想は特に変わらず、「ポケモンを知らないとあまり面白くない」に尽きる。

何が出て来ても、それがどういうポケモンなのか、レアなのかどうか、全然わからない。

アップロードしたスクショを見て、「カラカラいいなぁ」と言われて初めて、自分がカラカラを持っていることや、これがそこそこレアであることに気が付く始末。

自分には可愛いか可愛くないか、見た目以外の情報が何もないので、カラカラでもポッポでも同じなのだ。

もっとも、ポッポはだいぶ見飽きたので、見慣れないポケモンが出て来ると嬉しい。

知識としてレアであると知っているのではなく、実体験としてレア度を感じている状態だ。

その手探り感は楽しいのだが、他の人たちはすでに知っていることを頑張って発見しているのは、ハンディキャップを背負っている気分になる。

 

進化というのをやってみた。

コラッタがいっぱいになったので、XLの強そうなコラッタを進化させてみたら、XSのラッタになった。

今では重さと強さの相関は無いという説が有力なのでいいが、その時は重さ=強さだと聞いていたので、ひどくがっかりした。

しかも、図鑑が埋まらないと思ったら、すでにラッタを持っていた。

コラッタがラッタになるとか知らないし!」

なんてことをツイッターに書いたら、フォロワーさんに「全世界で3億人くらい知っている」と言われて身震いした。

 

日曜日は久しぶりの撮影だった。自分が「撮影」という場合はコスプレ撮影なのだが、レイヤーさん二人ととあるテーマパークで合流。

もちろん二人ともポケモンGOをやっており、当日は割とポケモンを探したり、ARで遊んだりするシーンも多かった。

これに参加できたのが大きい。

人気だからとりあえず知っておくかという理由で始めたが、そうしていなかったら昨日の撮影はひどくつまらないものになっていただろう。

そして、誰かとわいわいやりながらやるポケモンGOは面白かった。

土曜日に「これ絶対に誰かと一緒にやった方が面白い」と書いたのだが、翌日早速それが証明された。

もちろん、日常に戻れば一緒に遊べる仲間などおらず、一度誰かとやる楽しさを知ってしまった今、もう一人ではやってられない感はある。

やはり、あくまでウォーキングのついでに立ち上げておくくらいで。

 

今朝、裏で立ち上げておいてグラブルをやりながら駅まで歩いたら、その距離がカウントされていなかった。

タマゴを孵化させようと思ったら、ポケモンGOを表に起動しておかなければならないようだ。

昨夜ジョギングに行く時、スマホを持って行くかどうか悩んだ。

結局邪魔になるから持って行かなかったが、10km/h以下じゃないと反応しないという情報がある。

ダイエットのために走るのを再開して、そろそろキロ6分は切りたいペースで走りたいので、持って行ったところでいずれにせよカウントはされないだろう。

ただでさえスマホ依存なので、走る時くらいは解放されたい。

 

ポケモンGO、自分はもうじき、みんなも夏休みが終わる頃には飽きてるんじゃないかな。

ゲームというのは、手軽さが必要だ。

ポケモンGOはやり込もうと思うとどうしても外に出る必要がある。ルンバでタマゴを孵化させている人でも、タマゴは外に行かなければ手に入らない。手軽とは言い難い。

猫を集めていた人たちがイカの話を始め、いよいよ大御所登場という感じだが、半年後、除夜の鐘が鳴る頃にはもう、ほとんど話題になっていない気がする。