希望のない世界から

消化試合を生きる

エロにおちんちんは必要ですか?

今朝ふと、エロにおちんちんは必要なのかと考えた。

ここでいう「おちんちん」とは、男根のことである。

誤解を恐れずに言うと、エロは百合で満足かどうかということだ。

 

全世界に対して無記名のアンケートを実施した結果、世界の3人に2人は、おちんちんは要らないという結果になった。(有効回答数:3票)

百合というのは、自分の介在する余地のないエロである。

例えば、ラブライブのにこまきイチャイチャを見ながらシコシコしたとして、そこにはまったく自分は投影されていない。

 

普通かどうかはわからないが、男が主人公のエロゲをする場合、主人公に自分を投影し、あたかもヒロインの女の子と自分がイチャイチャしているような気分に浸る。

つまり、最初に「おちんちんとは男根のこと」と書いたが、もっと言えば、「おちんちんとは自分のこと」なのだ。

自分がエロいことをしている妄想でオナニーをするか、それとも他人同士(ここでは女の子同士)のエロを見てオナニーをするか、ということだ。

 

まだ百合に興味がなかった頃、BLって不思議だなと思っていた。

ヒロイン不在のBLの世界では、こちら側でいう百合同様、そこに自分は存在しないのである。

『神々の悪戯』みたいな、ヒロインがいて、そのヒロインが男の子たちと恋愛する系統のゲームなら我々も馴染み深いが、BL界はいまいちわからない。

 

そんなふうに思っていた自分が、いつの間にか世界の3人に2人、つまり圧倒的大多数側にいて、「もう(自分も含めて)男は必要ないんじゃね?」と思い始めた。

最近ガルパンが自分の中で大ブームなのだが、黒森峰で敗北を理由にボロックソにいじめられたみほの過去が、何者かのリークで沙織の知るところになり、そこから始まるみほと沙織の百合物語なんかを想像して楽しんでいる。

もちろん、今でもユーフォの久美子と麗奈の小説は書き続けていて、Pixivにもアップしているし、その前はずーっとラブライブだったし、もう何年も男不在の世界にいる。(ユーフォのアンチ秀一っぷりは、2chで話題にされたほどだ)

 

信憑性は怪しいが、インターネットで「クジラックス先生が『幼女との和姦にリアリティを感じないから強姦しか描けない』と言っていた」みたいな文を見た。

自分が若い頃は、若い女の子たちと恋愛するゲームの主人公に自分を投影することが、(年齢的に)自然にできたが、歳をとってきて、あまりにも若い主人公に自分を投影することにリアリティを感じなくなったのかもしれない。

一歩離れた世界から、眺めているだけの人になった。