希望のない世界から

消化試合を生きる

「趣味を辞めると何も残らない」についての考察と、コスプレカメラマンについて少々

先週末に世界コスプレサミットに行ってきた流れで、インターネットでコスプレ界隈の情報やら意見やら作法やらを眺めていた。

すると、2chのスレッドでレイヤーの引退や引退時期についての話題があり、その中で引退したレイヤーさんが、「後に何も残らない趣味だと気が付いた」という趣旨のことを書いていた。

もちろん、衣装は残るが、引退したのだから残ってもしょうがないというか、邪魔になるだけ。

逆にカメラマンについても、「引退したら何も残らないことに気が付き、虚しくなった」という趣旨のことを書いている人がいる。

残るのは大量の他人の写真だけ。

ソーシャルゲームのガチャに喩えている人もいた。さんざんお金を使って、残るのは写真だけ。飽きたらその写真に価値は無いと。

 

ただね、思うのだけれど、それはどんな趣味でも同じじゃないかな。

 

ずっとテニスをやっていて、怪我をして引退。残ったのはラケットだけ。

ずっとギターを弾いていて、音楽に飽きて部屋には邪魔なギターが1台。

 

楽しみを「瞬間的な楽しみ」と「継続的な楽しみ」に分けてみる。

まず「瞬間的な楽しみ」だが、それをしている時に楽しかったかどうか。

コスプレにしろ、撮影にしろ、テニスにしろ、ギターにしろ、その時楽しくやっていたなら、それでいいと思う。

引退しても、その思い出が消えるわけではないし、人はそうして思い出を積み重ねて生きていくものだ。

 

ただ、思い出って後ろ向きで、結局先には何も残らない。

技術は残るが、裁縫スキル、メイクのスキル、撮影スキル、テニスの腕前、ギターのテクニックなど、局所的にしか役に立たず、その趣味を離れたら使えない。むしろ裁縫やメイクの方が(コスプレの方が)、他の趣味より役に立つスキルが身につくと思う。

 

要するに、2chに書かれているのは人間関係のことだ。

その趣味を離れても、ずっと付き合える友達ができるかどうか。そういう友達が出来た時、それは「継続的な楽しみ」になる。

 

ただね、思うのだけれど、それはどんな趣味でも同じじゃないかな。

 

学生時代のクラスメイトの大半と、現在付き合いが無いように、基本的には共通の環境や話題、趣味が無くなれば、人間関係は切れる。

コスプレに限った話ではない。

テニスを辞めた後でも、テニス仲間と他の趣味や話題で繋がりをもって、定期的に遊べるような人だったら、コスプレでも同じようにできるし、コスプレでできないのであれば、恐らく他の趣味でも難しいだろう。

 

もちろん集まる人の質は、趣味の内容によって変わるだろうが、本質的には自分の問題だと捉えた方がいい。

コスプレを辞めて他の趣味を始めたところで、恐らくその点についてはそんなに変わらない。

 

なお、コスプレカメラマン(ここでは男性に限定する)については、人間関係を広げるのは他の趣味と比べて圧倒的に難しい。

まず大半のレイヤーさんは、多くのケースにおいて、カメラマンと友達になりたいとは思っていない。

これについては、最初は「そんなことはない」と否定的だったが、浸かれば浸かるほど「やっぱりそうなのだ」とわかってきた。

また、多くの場合異性であるから、そもそも友達になるのが難しいというのもある。

カメラマン同士は、他の趣味とは違い、共通の趣味を楽しむ仲間というより、ライバルという色が強いので、やはり難しい。

コスプレ撮影は、あくまで「瞬間的な楽しみ」に限定し、撮影以外の時間は他の趣味に打ち込んでいた方がよいと思う。

 

そう、自分に言い聞かせる毎日。