希望のない世界から

消化試合を生きる

mixiを懐かしむ

mixiが通期で赤字とのことで、いよいよカウントダウンが始まったのかなと感じた。

mixiは黎明期から続けているが、今パッとなくなったとして、何が残るのか。あるいは何を失うのかを考えてみる。

実は長く続けている割に、mixiで形成された人間関係は少ない。

オタク系のカラオケやイベント系コミュの飲み会、ゴルフのラウンドなど、かなり多くのオフ会に参加したが、そこで出会った人で、mixiのオフ会以外で会って遊ぶような人はほとんど皆無だ。

もちろん、だからmixiなんて所詮その程度のものというわけではなく、自分にはmixiを使いこなせなかったというのが正しいだろう。

中には親友と呼べる仲間が出来た人もいれば、恋人を見つけた人もいる。

結局はツールの問題ではなく、自分の性格の問題なのかなと思う。

 

まだオフ会が盛んではなかった頃、mixiは「既成の人間関係をうっすらと継続させるのに有効」と考えられていた。

積極的には連絡を取らないが、ログインするとそこに日記が書いてあったり、足あとが残っていたりして、なんとなくそばにいるような気持ちになるのだ。

しかし、これは所詮「なんとなく」だったと今思う。

大学時代の友人も次第にログインしなくなっていき、元々積極的に連絡を取るような相手ではなかったので、そのまま関係も消滅していった。

足あと機能がなくなり、「反応」がなくなったことで、日記が激減した。

読むものがなくなると次第にログイン頻度も減り、また日記が減り、悪循環の末、mixiはピエリ守……過疎化した。

やがて、自分もほとんどログインしなくなった。

 

ではもうmixiは必要ないかと言われると、そうでもない。

なくなったらなくなったで、しょうがないかと諦められるレベルではあるが、それなりに利用もしている。

具体的にはコミュニティーだ。

年齢の関係でオタク系のオフ会にはまったく行かなくなってしまったが、ゴルフだけはまだちょくちょく参加している。

ゴルフに力を入れていた前の会社を辞めたことでゴルフ仲間が激減し、mixiのゴルフコミュの需要が一段と増した。

未だに120も叩く下手くそプレイヤーで、自分からコミュの人たちに個人的に声をかけるのは難しいので、mixiがなくなったらさらにゴルフの頻度は減ってしまうだろう。

 

まあでもそのくらいかな。

mixiの赤字のニュースを見て、mixiの日記でFacebookへの誘導を試みたが、申請は来ていない。

所詮はその程度の関係しか継続できないのが、自分にとってのmixiの限界であり、mixiというツールを使う自分の限界だったのだ。