希望のない世界から

消化試合を生きる

久美子では射精できない

先日、「久美子では射精できない」という知見を得た。

常から、ボカロやアイマスは、女の子の相手を自分にできると思っている。

つまり、自分がボーカロイドのマスターだったり、アイドルのプロデューサーだったりという、公式的な組み合わせで楽しむことができる。

相手がリンや小日向なら、自分は自分のまま射精ができるのだ。ピュッ。

 

ボカロやアイマスではなくても、例えばエロゲーなら主人公に自分を投影することができる。

普通のノンケ作品なら、その女の子の相手の男に自分を投影することで、自然な流れで射精することができる。ピュッ。

 

ここ数年、『響け!ユーフォニアム』にはまっていて、キャラとしては今、奏にどっぷりである。

奏の場合、相手は久美子である。もちろん夏紀や梨々花でもいいのだが、作品に存在もしない男子生徒とかは有り得ない。

百合は正義。百合は太陽。百合は恩恵。

この女体は奏であると考えた時、自然と自分は黄前久美子になった。

久美子ならこんなふうに奏をいじるだろうかとか色々考えた末、最後の最後で困ってしまった。

 

久美子では射精できない。

 

これは不思議な感覚だった。

百合のイラストや妄想でオナニーをしたことは何度でもある。百合の動画も好物だ。

百合は神々の賜物と言っても過言ではない。

もちろん、奏と久美子の妄想でも数え切れないほどオナニーをしている。俺は百合オナニストなのだ。

その場合、自分はこちら側から見ているのである。『マリア様がみてる』のマリア様のような存在だ。見ている側なのだ。

女の子が二人いたら、そこに男は要らない。世界の常識だ。

 

ただ、この女体! この女体が奏であるなら、それはもうマリア様ではない。当事者だ。当事者であるなら、自分は久美子だ。

しかし、久美子では射精ができない。

どうすればいいんだこれ。

ふたなり? ないわー。架空の男子生徒の方が100倍ましです。

結局どうしていいかわからず、自我が崩壊して、自分は久美子でも架空の男子でももちろんブログ主本人でもない、何かよくわからない存在になった。

そして、射精した。ピュッ。

 

あれからずっと考えているのだが、もし同じような状況になったら、一体どう考えればいいのだろう。

久石奏の相手は絶対に黄前久美子だ。女体は奏であり、自分はマリア様ではない。当事者なら久美子しか有り得ない。

自分が生きている世界線にはふたなりという文化は存在しない。女の子の久美子は射精できない。

わからない。もう何もわからない……。(cv.みぞれ)

 

『誓いのフィナーレ』についてあれこれ~京阪コラボとか奏のこととか

 今年の京阪電車と『響け!ユーフォニアム』のコラボのイラストは、左から、夏紀と優子、緑輝と奏、久美子と麗奈、さつきと美玲と葉月の9人である。全員女の子だ。奏がすさまじく可愛い。

 これ、作品を知っている人ならわかると思うが、緑輝と奏だけ異色で、作中でほとんど絡みがない。

 去年は左から、優子と夏紀、麗奈と久美子、葉月と緑輝、みぞれと希美だった。久美子たち4人は近い配置になっていて、それぞれが絡みの多い組み合わせになっていた。

 今年は、もし描くとするなら、緑輝と求、奏と梨々花にするべきだった。年末に発売されたカレンダーは、久美子と麗奈と奏と梨々花の4人のイラストで発売されたが、いざ映画が公開されたら、まさかの梨々花の出番なし。

 『リズと青い鳥』を見ずに『誓いのフィナーレ』を見た人は、カレンダーの一番右にいた女の子は、一体誰だったのか感がとても強かっただろう。原作を読めば、奏とペアにするなら梨々花だとわかる。

 梨々花がいなければ、奏は久美子と麗奈と3人でまとめればよかった。奏と麗奈は特に絡みはないが、前述のカレンダーでも一緒にいたし、メガミマガジンの付録のウェディングドレスのイラストでも3人で一緒にいた。奏は『誓いのフィナーレ』の主役であり、この3人の組み合わせは不自然ではない。

 どうしてこうなったかと言えば、求を描かなかったからだ。全員女の子にしたかったのだろう。『誓いのフィナーレ』は明確に久美子と秀一の恋愛を描いていたが、結局イラストでは久美子と麗奈で、秀一は出てこない。

 原作者の描きたいものはともかく、きっと何が一番求められているかがわかっていて、その結果男子を排除し、一人浮かんだ緑輝を奏と組ませたのだろう。もちろん、緑輝と葉月、さつきと美玲でもよかったと思うが、チューバは3人で仲良くしているというのが、『誓いのフィナーレ』の大切なテーマだ。これは外せない。

 ちなみに、年末のカレンダーは、1~6月は上記の4人、7~12月は緑輝、葉月、さつき、美玲に、求も描かれている。今回の京阪もそれでよかったと思うのだが、求は描かれなかった。人気がなかったのもありそうだ。私自身、客観的にそうするべきだったと言っているだけで、求は好きではない。

 それにしても、今年の京阪のイラストの奏が死ぬほど可愛い。コラボ期間中に宇治に行ったことがないのだが、今年は黄檗駅に展示されるらしい等身大パネルを見に行きたいと思う。

 

 ところで『誓いのフィナーレ』だが、今ひとつ京アニのやる気が感じられない。

 例えば『リズと青い鳥』は公式設定集なる本が発売されたが、今回の『誓いのフィナーレ』はその手の本が何一つ発売されない。

 『リズと青い鳥』は映画の半券のキャンペーンがあったが、今回はそれもなかった。

 思うに、久美子が2年生の物語は、希美とみぞれがメインで、久美子自身の物語としては、「全国に行けなかった」という1行以外、何もないのだろう。だから、この作品で「全国に行けなかった」という事実だけ描いて、次の3年生編に魂を注いでくる気がする。

 2年生編で起きるあれこれは、すべて久美子に直接関係のないことばかりで、久美子は仲裁に走り回っているだけである。1年生編や3年生編のような、久美子自身に関する事件がほとんど何も起きない。

 『誓いのフィナーレ』は、『響け!ユーフォニアム』というシリーズの中で、最も不遇な作品だった。それは3年生編がまだ作られていない今でも断言できる。アニメはまだでも、原作はもう完結しているから、展開は知っている。

 残念なのは、そのせいで久石奏という魅力的なキャラが、じっくりと描かれなかったことだ。そもそも奏は過去すら原作の設定から変えられてしまった。親友も登場しなかった。

 3年生編に奏はもちろん登場するだろうが、主役は黒江になるだろうし、奏の問題は2年生編で解決してしまっているから、出番も少ない。そして、『誓いのフィナーレ』は画集の類も出ない。

 顔面偏差値は全キャラの中でトップクラス。声優はあの雨宮天。なんというかもう、キャラの無駄遣いである。

 今までの作品で大して物語の本筋に絡みもしなかったキャラとの唐突な恋愛を描く尺があるなら、もっと奏の内面を、過去を変えずにじっくり描いて欲しかった。

 『誓いのフィナーレ』はそういう意味で本当に残念な作品だった。

 

Panasonic DC-GF9 試し撮り(大須)

購入したGF9で、大須をぶらっと。土砂降りだったので、新天地通を中心に、アーケードの中だけ。

明るさのみPhotoShopで調整。サイズや色味はそのまま。

WBはAUTO、レンズは標準の12-32mm。

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GF9は本体に手ぶれ補正がついていないのでどうかなと思ったのだが、割と大丈夫だった。

ただ、後ろから2つ目の写真、人の途切れた瞬間にせわしなく撮影したら、案の定ぶれてしまった。

まあ、このカメラでそんなにバタバタした撮影をすることはないだろうからいいが。

もっとも、このカメラ、あくまでPENTAXのサブ機として買ったのだが、十分メインで戦える性能があると思う。

F値ISO感度と露出の変更が、やっぱりテキパキできないので、K-3やK-70の操作性には勝てないが、写りはとてもいいんじゃないかなぁ。

 

Panasonic DC-GF9 試し撮り(ビルズカフェ稲沢店)

そろそろDMC-LX7を買い替えるべく、中古でDC-GF9を買ってみた。

本当はOLYMPUSのE-PL8にしようと思ったのだが、こっちの方が小さそうだったので。あくまでサブ機だし、そもそもLUMIXからの買い替えなので、相性も良さそうだ。

届いた翌日、丁度愛してやまない稲沢のビルズカフェに行った時、このカメラを持っていたので、ビルズコースの料理の写真を1枚ずつ撮影してみた。

明るさのみPhotoShopで調整。サイズや色味はそのまま。

WBはAUTO、レンズは標準の12-32mm。

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希美はそんなに気にしていないと思う

響け!ユーフォニアム 決意の最終楽章・後編』が発売された。

とりあえず最初にエピローグとその前の10ページくらいを読んだら満足してしまい、他はまだピラピラとしか見ていないのだが、南中組の「今」が少しだけ描かれている。

その中で、83ページにこんな記述がある。

座席の背もたれに腕をかけたまま、希美はしみじみと言葉を吐いた。漏れる吐息には深々とした感慨と、それ以外の何かが混じっていた。

これ、本当に「それ以外の何か」は混じっていたのだろうか。

前からずーっと思っているのだが、『響け!ユーフォニアム』は久美子視点の小説なので、久美子が見た世界、久美子が感じた世界が描かれている。

だから、希美はいちいちみぞれに対して嫉妬しているような記述がある。

響け!ユーフォニアム2』の152ページ。

先輩、本当は嫉妬してたんじゃないですか?

これが久美子の根底にある。だから、常に久美子は、希美の言動に嫉妬を感じている。

同、266ページから267ページのくだりを読めば、希美は本当にただ、みぞれが頑張っていたから声をかけなかっただけで、みぞれがハブられたと思っていたと知って焦る。

これがすべてだ。

希美にとってみぞれは大した存在ではなく、特別な友達でもない。 みぞれはそのことを悲しんでいる。そういう話が、久美子のモノローグによって、だいぶ違う話にミスリードされているように感じる。

これは『第二楽章』や劇場版『リズと青い鳥』の影響で、本当に嫉妬していたような展開にされてしまったが(だから2巻で一度片付いたはずの問題が、『第二楽章』で再浮上する展開になってしまった)、少なくとも大学に入ってもなお引きずっているとは思えない。短編の記述などを見ても、むしろ希美はそんなにみぞれのことを気にしていないと感じる。

希美は希美なりの音楽の道を見つけて歩いている。いつまでも嫉妬していると感じるのは、それこそ2巻152ページで久美子が感じた通り、希美への侮辱だと思う。

響け!ユーフォニアム』という作品は、希美の扱いがひどいというのは色々なところで言われている。もちろん、結局全国に行けずに終わったり、新山に相手にされなかったり、状況だけでも可哀想だが、この久美子の感じ方がさらに希美を可哀想な存在にしている、そんな気がしてならない。

久美子視点の小説だから、天気が良くても、久美子が「今日は雨が降りそうな空だ」と思えば、読者は曇り空を想像する。

作者が、久美子は100%正しいと思って書いているのか、それとも「本当は違うけれど、久美子視点だからこう書く。でも、あくまで久美子がそう思っただけだからね!」みたいな気持ちで書いているのか、少し気になる。

 

『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ』に死滅した百合厨の仲間を想う

 『響け!ユーフォニアム』界隈にいた百合厨は、『誓いのフィナーレ』公開前にすでに死滅していたのかもしれない。

 『誓いのフィナーレ』はもちろん自分も見てきたが、残念ながら楽しめなかった。あがた祭のシーンをはじめ、秀一とのシーンがもう見ていられなかった。気持ち悪くすらなった。

 TVアニメで百合をミスリードされ、『響け!ユーフォニアム』に百合を求めた同士たちは、あれを受け入れられたのだろうか。

 そう思って検索すると、Twitterにも映画のレビューサイトにも、『誓いのフィナーレ』を絶賛する声しかない。

 特に秀一との恋愛とか距離感とか温度とか声とか表情とか、とにかくあのシーンが良かったという声で溢れている。

 『誓いのフィナーレ』にショックを受けた人がほとんどまったく見当たらないのだ。

 偶然にもフォロワーに一人、自分と同じくどうしても秀一との関係が受け入れられず、もう2回目は見ないという人がいて傷を舐め合っているが、およそ世界にこんな人間は二人しかいないかのように、歓喜の声で満ち溢れている。

 もう少し、自分のような百合厨が絶望的な呟きをしているかと思ったが、まるで見当たらない。

 彼らはこの映画で死んだのではなく、映画が始まる前にもうこの作品から離れていたように感じる。

 

 何年も言い続けているが、ノンケが嫌いなわけではない。『氷菓』などは楽しく見ていたし、奉太郎とえるの仲がもっと進展してほしいとわくわくしていた。

 基本的にアニメはあまり見ないが、最近は『色づく世界の明日から』なども見ていたし、男女の恋愛が嫌いなわけではない。

 『響け!ユーフォニアム』の秀一が受け入れられないのは、彼が物語に何の役割も果たしていないからだ。

 TVアニメ1期の麗奈と香織の問題や、2期の希美とみぞれの問題、そういったものに久美子と一緒に悩んだり、行動したりして、その中で仲が育まれたのなら何も思うところはない。

 しかし秀一は、そういった問題に一切関与していない。にも関わらず、幼馴染というだけで作品の主人公と付き合い出す。

 釈然としない。

 本当に、秀一はただの「彼氏」という記号で、原作者が主人公に恋愛をさせたかっただけにしか見えない。

 そういうキャラを、私は好きになれない。

 

 それはまあ、仕方ない。

 『響け!ユーフォニアム』は元々ノンケ作品である。麗奈もTVアニメ1期から滝のことを好きだと言っている。

 『誓いのフィナーレ』にしても、原作を立華の話も含めて全部読んでいる自分は、この展開を知っていた。

 心のどこかで、京アニは元々百合っぽい売り方をしてきたから、秀一との恋愛をはっきりとは描かないだろうと思っていたが、そんなことはなかった。自分のようにまだ辛うじて残っていたわずかな百合厨を、完全に駆逐しに来た。

 こんなふうにするのなら、TVアニメ1期の時点からあんな思わせぶりな演出はやめてほしかったと恨み節も零したくなるが、原作からしてああなのだ。

 ニコニコ大百科の「百合厨」の項目にこうある。

『他者の作品を自己解釈し、間違った方向で世に示している空気の読めない人たちのこと』

 あの作品に百合を見た人は間違いなく多かった。それは我々の自己解釈だったのだろうか。ミスリードだったと思えて仕方ないが、もはやそんな声すらどこからも上がらない。

 百合厨は死に絶えたのだ。

 

 Pixivに「#くみれい」タグで小説がたくさん公開されているが、その1作目を書いたのは自分だ。TVアニメ1期のあの8話が放映される前だった。「#のぞみぞ」タグも自分が1作目を書いている。

 ずっと『響け!ユーフォニアム』という作品に百合を見てきた。TVシリーズが放映されていた頃は、それなりにたくさん読まれていた。

 ただ、これだけノンケを見せつけられ、百合厨が死滅した今、なんだかもうこの作品に百合を求めること自体が邪道に感じる。

 言ってみれば、『氷菓』で奉太郎と里志のホモを書くようなものだ。

 今はまだ、久美子と奏の百合小説を、ごくわずかな人が楽しんでくれている。

 圧倒的に眩しく輝くノンケ万歳の声を聞きながら、まだ辛うじて息のある百合厨の同士と、日陰でひっそりと楽しめたらと思う。

 願わくば、TVシリーズ1期、8話が放映された直後の世界に戻りたい。

 あの頃、世界は輝いていた。たとえすべて幻だったとしても。

 

今さら『Wake Up, Girls!』を見始めた

年始にWake Up, Girls!のライブに行った時、アニメを見たことがなくキャラは一人もわからない。曲は1曲も知らず、メンバーは山下七海しか知らない状態だった。

よって、ライブを観た感想も、漠然とした「楽しかった」の他は、「山下七海が可愛かった」というだけで、ライブ中も山下七海しか見ていなかった。

翌月、Wake Up, Girls!は解散した。当時は、これで山下七海が個人で活動できるようになるから嬉しいと思った。

 

最近、映画『Wake Up, Girls! 七人のアイドル』を見て、続けてTVシリーズの第一期を見始めた。

なるほど、パンツの演出は過剰で不要に思えるし、第2話の前半は見るのが苦痛で、初見なのに飛ばしてしまったが、なかなか面白い。

島田真夢が可愛い。

曲もいい。まだTVシリーズの10話までしか見ていないので、登場した楽曲は少ないが、最初の『タチアガレ!』がとてもいい。ライブに行った時は、この曲すら知らなかった。

先日、鈴木みのりのライブに行った際、事前にアルバムを聴いていたのだが、やはりライブは曲を知っていた方が楽しめる。

現地で新たな曲との出会いがあるのもそれはそれで好きだが、比較したら曲は事前に知っていた方が良いと感じた。

 

島田真夢だが、大田の書き込みに一切肯定的なコメントがつかなかった。まさに総スカンである。

これも過剰な演出なのだろうが、ちょっとこの状況は考えにくい。

今、NGTが世間を賑わせているが、どう考えても真っ黒でインターネットを見ただけでも何百という批判にさらされているメンバーでも、根強いファンがいる。

I-1clubのセンターを努めていた島田真夢がグループを脱退したとして、例えばその理由が不倫や覚醒剤だったとしても、そこまで見事にファンが離れてしまうだろうか。

I-1clubの人気を考えたら、島田真夢が仙台でアイドルを再開したなどと聞いたら、数百人が観に行っても不思議ではないのだが。

まあ、総スカン食らってインターネットに書き殴られた批判の数々を、本人が部屋で一人でじっと見つめている光景を想像すると大変萌えるのでいいのだが。

 

ガラガラの箱でライブをしている姿を見て、なぜだかアース・スタードリームを思い出した。

自分がアース・スタードリームを知った時はすでに、中島由貴の人気が出た後で、もちろんゆっきー経由でグループを知ったのだが、握手会の列も他のメンバーは2、3人で、ゆっきーだけ数十人から100人近く並ぶような状況だった。

見たことはないが、Rev. from DVLの橋本環奈も同じような状況だったのではなかろうか。

翻ってWake Up, Girls!を思うと、もし握手会があったら、島田真夢だけ殺到すると思われる。普通に考えれば。

ただ、今書いた通り、島田真夢は総スカンで、I-1clubのセンターだったにも関わらず、人気も他の無名メンバーと大して変わらない。握手会も大田組数人が並んで終わりなのだろう。

本当に不思議だ。

渡辺美優紀NMBを脱退し、2年明けて活動を再開した時、ファンがたくさんいた。

島田真夢はやらかしたからと言うが、実際には何もしておらず、シングル争いに負けて辞めただけで、変な噂を流されたとしても、ファンがあそこまで壊滅するのは考えられない。

まあ、I-1clubの元センターに数人しか並んでいない握手会とか、それはそれで大変趣深いのでいいのだが。

 

さて、TVシリーズは残り2話。見てもその後の映画までかな。

新章はどうも絵が好きになれない上、島田真夢の年齢が19歳になっている。

高校生が好きなんよね。女子高生って、それだけで輝いてるよね。

ああ、冒頭の話を拾っていなかった。

今こうして島田真夢を好きになって思うのは、ライブを観に行った時、せめて今くらいの知識が欲しかった。

そして、ライブを観たくてももうグループは解散してしまった。本当に「今さら」だ。