希望のない世界から

消化試合を生きる

自分は公式の『響け!ユーフォニアム』は安心して読めない

昨日同人ショップで夏コミ4日目に参戦してきたのだが、眺めていたらなかなか良さそうなユーフォのくみれい本があった。

しかし、サンプルページを見ていたら、「何か違うなぁ」という気持ちが沸いてきて、結局買わなかった。

ユーフォに関しては、自分の中で確固たるくみれい像があって、公式を含む、それ以外のあらゆる作品が受け付けられない状態になっている気がする。

 

ユーフォというと、立華を舞台にした新しい小説が発売された。

どんな内容なのかと、Amazonのレビューを眺めていたら、その中に衝撃的な一言があった。

 

これまでのユーフォシリーズ3巻+αと同じく安心して最後まで読めます。

 

明らかに久美子と麗奈の友情以上の何かを漂わせておきながら、最後にまったく理解できない秀一展開で終わる、新しい形のNTRみたいな内容だったのに、それと同じく安心して読めるとは、一体どういうことなのだろう。

むしろあの秀一展開のせいで安心して読めず、先に結論を知ってから買おうとすら考えている自分としては、このレビューの意味がさっぱりわからない。

 

もしかして──いや、もしかしなくても、他の多くの人たちが『響け!ユーフォニアム』という作品に求めているものは、自分のそれとは違うのではなかろうか。

自分がなぜ秀一展開を嫌悪しているかについては、過去エントリー「『響け!ユーフォニアム』について」「『響け!ユーフォニアム』についてと、秀一が嫌いな理由」を読んでもらうとして、世の中の多くの人たちは、この秀一展開に納得しているらしい。だからアニメの2期も楽しみなのだろう。

前にも書いた通り、自分も久美子の相手は秀一しかいないと思っているが、ただあの話の流れからのあの結末は、まったく納得できない。アニメの2期も不安でしょうがない。

 

響け!ユーフォニアム』という作品は、久しぶりに自分の中では大ヒットなのだが、舞台背景や話の導入、キャラ設定が好きなのであって、公式の展開にはまったく納得していない。『俺妹』と同じ感じ。

『日常の隣で』という二次創作は、『4』をもって公式に沿う形の二次創作をやめ、アナザーストーリーとして書き続けている。

・久美子は麗奈とくっつく(くれみい展開)

・秀一は葉月とくっつく(葉月の救済)

・ソロは香織が吹く(香織の救済)

この3つを軸に、公式とは別の形で、流されやすい性格だった久美子が、しっかりと自分の意志を持って成長していく過程を描く。

最終的には麗奈は海外に行きプロになるような展開ではなく、久美子や他の仲間たちと音楽活動を行うような話にしたい。

 

公式が好きな人には公式や他の二次創作を読んでもらって、たとえほんのわずかでも、安心して公式を読めない人たちと、そして何より自分のために、これからも『日常の隣で』シリーズを書き続けられたらと思う。