30代独身オタの哀愁

消化試合を生きる

今年の抱負の再確認

昨年は1年、「自分にできないことは、自分にはできないのだと諦める」をテーマに生きてきた。

自分以外のとても多くの人が当たり前にできているようなことは、自分にもできるはずだという考えを捨てること。

まあ要するに恋愛とか結婚とかそういうことなのだけれど、それ以外にも友達面、仕事面、健康面でも色々と諦めた。

諦めるというとネガティブに聞こえるが、つまり自分にできることとできないことを明確にして、できることをしようという話だ。

世の中には、

 ①やりたくてできること

 ②やりたくてもできないこと

 ③やりたくないけどできること

 ④やりたくないしできないこと

の4つがあって、②は諦めて①を頑張ろうね、ということである。なお、仕事は③。

自分の場合、②の代表格が恋愛。友達付き合いもそう。健康を害して②になってしまた趣味もたくさんある。マラソンとか。

そういった、やりたくてもできないことを諦めて、やりたくてできることを優先しよう、積極的に頑張ろうとしたのが昨年。

 

今年は1年、「その都度その都度楽しければ、継続性がなくても良しとする」をテーマに生きている。

これまでは、一期一会の楽しみに随分悲観的だった。

どれだけ楽しくても、もうこの時間は二度と訪れないと思うと、なんだかその時間が無駄に思えてしまう。

例えば、もう二度と会うことのない人との時間とか、そういったもの。

旅行で写真をたくさん撮るのも、そういう思考の延長かもしれない。忘れてしまったものは、なかったのと同じという考え方。だから、その瞬間を永遠に残したい。

しかし、その一瞬一瞬が楽しければ、もうそれでいいんじゃないかな。今年はそう考えることにした。

例えばこれまでの人生で、多くの人と知り合い、ともに過ごしてきたが、その大半の人間と縁が切れている。

それでも、その人たちと過ごした時間は確かに楽しかったし、決して無駄ではなかった。その積み重ねによって今がある。

昔ほど新しい人との出会いはなくなったし、活力もなくなってきた。あちこち痛いし、色々制限されてきているが、それでもきっとこの先も、一瞬一瞬の楽しい時間はあって、そういうのを繰り返して生きていくのだろう。

 

ああ、そうだ。

ソシャゲに肯定的になったのも、今年のこの抱負によるものである。

中には飽きたらデータがすべて無駄になるという人もいるが、やっているその瞬間が楽しいのなら、それでいいと思う。

飽きたら無駄になるのは他の趣味でも同じだし、ゲームだけ特別に否定するべきことでもない。

楽しいのなら続ければいい。

楽しいのなら。

 

話が逸れた。

まあそういうわけで、昨年に引き続き、年始の抱負を常に意識しながら生きている。

昨年の抱負から一貫して根底にある「諦め」は、本当に自分が思うほど前向きなものなのだろうか。

その辺りはよくわからない。

今年は1月末に、頻繁につるんでいた半ば最後の友人に彼女ができて、とうとう真なるぼっちになってしまったことで、ずっと迷走を続けている。

そこにモバマスの小日向ショック。

何か色々と、どうしていいのかわからなくなっているので、そろそろ向こう側へ行きたい。

輝きの向こう側へ!