希望のない世界から

消化試合を生きる

結婚した仲間と何を話したらいいのかわからない

周囲の仲間がゆっくりと、しかし確実に結婚したり彼女ができたりして、気が付くとぼっちになってしまったわけだが、先日そんな仲間の一人が声をかけてくれて、飯を食ってきた。

そいつとは独身時代は頻繁に遊んだものだが、結婚してからはほとんど会っておらず、いよいよ子供が産まれるとのことで、その傾向はより強くなっていくことだろう。

そんなわけで、久しぶりに会ったし、積もり積もる話でもしようと思ったのだが……無い。話すことが何も無い。

 

当時は「最近どうよ」と聞けば、その後自分が共感のできる話が続いたものだが(どっか行った、何かした、誰かと遊んだ)、今は趣味に使う時間などなく、休みの日はもっぱら掃除など。

これは彼に限らず、会社の既婚者の後輩も、話題と言えば子供の話。それから畑仕事。たまの外出は家族でイオン。子供と一緒に地域のイベント。

彼ら自身には興味があるので、そういう話も嫌いではない。ただ、共感はできないし、その話を膨らませることができない。自分の話力の限界かも知れない。

 

翻って自分だが、話題はある。仲間が独身時代と同じようなトークならいくらでもできる。ただ、逆にそういう話はもう、向こうにとって共感できる話ではない。

不妊治療中の人に子供の話をしないのと同じで、羨ましがられるだけの話はしたくない。旅行に行きたくても行けない人に、旅行の話はしたくない。

逆に自分も、頑張っても彼女ができないので、リア充リア充トークなど聞きたくはない。既婚者はともかく、独身のリア充と距離を置くのもそれが理由。

 

独身のリア充や既婚の人たちとは、もう話題が合わない。会社でも感じているが、それは身近でも同じ。

今度大学時代の友人たちと久しぶりに飲みに行くが、二人は既婚で子持ち、もう一人は婚約済みでもうじき結婚する。正直、何を話したらいいのかわからない。

大学時代はずっと一緒にいた仲間たちだが、もう今となっては昔話だ。会うことにややネガティブな気持ちになっている自分がいる。マイノリティーの境地だろうか。

 

人間関係はライフステージごとに変わっていく。

それは仕方のないことだし、もう全然違う日常を生き、思い出以外に共通点のない人たちと無理に合わせることに意味はないのかもしれない。

別にわざわざ切り捨てる必要はないし、残しておきたい関係ではあるが、今目を向けるべきは思い出よりもこの先のことだろう。

そんなことを感じる今日この頃。