希望のない世界から

消化試合を生きる

今日の写真撮影の振り返り

さっきツイッターに、今日撮ってきた写真と一緒にぶつぶつ呟いていた内容のまとめ。とてもレベルの低い話なので悪しからず…。

 

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[F3.2、1/50秒、ISO200]

縮小するとそんなに気にならないが、ピントがぼけぼけ。 この写真がなぜ失敗したのかをしっかり追求したい。

群馬の写真も軒並みピントが甘いのだが、共通項は曇り(暗かった)。 ある程度のシャッター速度を維持するために、被写界深度を犠牲にしたということだろう。 要するに、手持ち固定の技術がないのであれば、感度を犠牲にするしかない気がする。 手振れやピンボケよりは、荒い方がまし。

 

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[F4.5、1/25秒、+1/3EV、ISO800]

これ、暗かったが綺麗に撮れている。 結局、感度を800まで落とせばそれなりのF値、それなりのシャッター速度で撮れる上、そんなにも画質も悪くないということだな。 群馬の撮影をやり直したい。

 

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[F8.0、1/100秒、ISO100]

毎回、旅行で撮影したら、しっかりと反省会して次に繋げないとな。 これ、下赤阪の棚田だが、何かこう、伝わってくるものがない。 なんだろうこれ。 何か物足りない。 WBを太陽光にしたら、あるいは印象が変わるだろうか…。

 

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[F6.3、1/30秒、ISO200]

今日撮った中で一番いい写真はこれかな。 小雨が降っていたのだが、ちょっと日も差す変な天気で、ちょうど薄明りが苔むした城壁を照らした一瞬。ピントも合っていて、迫りくるものがある。 被写体のポテンシャルだろうか…。 うーむ…。

「ピントも合っていて」というのが情けない話だ。 ピントは合っている大前提で、被写界深度の話をしたいのに、そもそもピントを合わせたい位置にピントが合っているかというレベルから会話をしないといけない。 しょんぼりですよ。

 

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[F5.6、1/640秒、-2/3EV、ISO200] [F5.6、1/320秒、+2/3EV、ISO200]

露出の話。 同じ樹をアンダーとオーバーで撮影。意図したのは左の写真なのだが、下の方が背景と重なって暗すぎ、なにか暗いだけの印象。 一眼レフは「何をどう表現したいか」をしっかり考えて撮らないと、どうも伝わってこない写真になる…。ぬぅ。

 

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[F3.2、1/50秒、-1/3EV、ISO200]

撮影する時はものすごく明確な意図とテーマ性を持って撮ったのに、家に帰って見てみたら、思わずDeleteキーを押しそうになるレベルで何も伝わってこない下生え。 これは完全に被写界深度だな。 もっと奥までピントを合わせたかった。

まあでもとりあえず、なんとなくパシャパシャ撮っただけという写真は減ってきた気はする。

 

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[F5.0、1/800秒、ISO400]

ミクも載せようか。 今回撮った中では、このミクが好き。 LVというのがミソかもしれない。 K-30というカメラは、LVの方がピントが合わせやすい気がする。 テクニックの問題もあるだろうが。 手前も適度にボケていて、狙い通りの一枚。

 

こんなもんで。 基本的なところになるが、今回の反省は、とにかく被写界深度自分がブレずに撮れるシャッター速度にするために犠牲にすべきは、F値ではなくISO感度 もう絶対にこれ。 ちょっと今日のこの結論を、常に念頭におこう。 群馬の失敗も全部これ。 群馬は感度をいじらなかった。