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30代独身オタの哀愁

消化試合を生きる

Twitter考

最近、Twitterを見てイライラすることが多くなった。

楽しみたくてやっているのだから、少しでもツイートが合わないと感じたら、ブロックしたりミュートしたりするのがいいのだろう。

最終的には、自分にとってTwitterは「情報源」であり、自分の「愚痴の捌け口」であって、誰かとコミュニケーションをとって、親睦を深める場ではないのだと思う。

 

そうは言っても、イベントで会って話す人はTwitter経由で知り合った人たちだし、先日入稿した同人誌も、Twitter上で知り合った人と作った。

一度も会ったことのない人と同人誌を作るのも、これで3回目。そういう時代なのだろう。

いくつかニコニコ動画で曲を公開しているが、助言をくださったのもTwitterで知り合った人である。

 

前にフォロワーさんが、Twitterをやめたら健康的になれるだろうか的な発言をしていた。

これはその通りだと思う。自分も、もういっそ今のアカウントを潰して、情報系の人だけをフォローした別アカウントを作ろうと思ったこともある。

けれど、上記のように、自分が考える以上には交流やコラボレーション、収穫があることに気が付いて、継続している。

 

とは言え、日頃遊んでいる人や、たまに遊ぶ人の顔ぶれを見ると、結局Twitter経由で会った人ではない。

Twitter上でそこそこ交流がある人たちも、例えば逆に向こうがTLに現れなくなったら、もうそれでおしまいという関係である。

あるに越したことはないが、あってもとても希薄な関係。大事ではあるが、多くを犠牲にしてまで固執するものでもないかなとは思う。

 

ここでいう「多く」とは、「他の可能性」のことである。

Twitterをやめてしまって、今の希薄な人間関係をすべて切り捨てれば、「もっと他のものに目を向けて、もう少し密度の濃い人間関係を作れるのではないだろうか」という可能性の話。

それは本当に可能性でしかなく、結局何もかも失ってしまうことになるかもしれない。

 

そもそも、コミュニケーションスキルの高い人たちは、Twitter上でも濃密な人間関係を形成し、一緒に遊んだり、あるいは恋人同士になったり、結婚したりしている。

問題はTwitterという場にあるわけではない。Twitterは我々に、何も制限していない。

結局、Twitterをやめたところで、新しい何か、新しいどこかで同じことを繰り返すだけである。

 

自分は人を求めているようで、その実、人を必要としていないのだろうか。

しかし、もう4週連続で同じ友人と遊んでおり、今週末も遊ぼうかなと思っている。

欲しいのは数ではなく、親友なのだ。

そして親友や、あるいは恋人は、いきなり出来るものではない。

一目でティンと来ることもあるが、基本的には友情も愛情も時間をかけて育むものである。

その土壌を持った人と会うには、数を撃つしかないだろう。いきなり抽出できるものではない。

 

と、ぶつぶつ書きながら、自分の今の考えをまとめたり、今後の方向性を探ったりしている。

結論のない話で申し訳ない。

 

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