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30代独身オタの哀愁

消化試合を生きる

絶望は希望が連れてくる

好きから嫌いに転じるのは容易いが、同じように、希望と絶望もすごく近い位置に存在する。

好きの反対は無関心だと言うが、なるほど確かに好きでも嫌いでもない人は多い。

人に限らず、スポーツにしろ何にしろ。好きでも嫌いでもなく、無関心でどうでもいいものたち。

 

絶望も、希望を抱かなければ起こらない。

期待しなければがっかりしない。

信じなければ裏切られない。

夢を描かなければ、それが叶わないとわかった時の虚しさを味わわない。

 

大小様々な夢を持ち、たくさんの目標に向かって歩き、時には方向修正をしたり、諦めたりしながら生きてきた。

最近、ここ何年と、そういうものがなかった。人生はもう消化試合に入っていると、このブログでも何度か書いた。

そんな自分が、とても叶えたい希望を抱いた。

人生を懸けてもいい、すべてを賭しても成し遂げたい夢が出来た。

 

そしてその夢は、生まれた瞬間に絶望を連れてきた。

不可能ではないが、現実的ではない夢。喩えるなら、石油王になるとか、可能性は0ではないが、あまりにも0に近い類の夢。

三次元に飛び出して来たミクと結婚するみたいな、絶対に不可能なものとは違う夢。

けれど、やっぱり無理なもの。

 

裏切られるなら信じなければよかったとか、してもらえないなら期待しなければよかったとか、これは難しい話。

絶対に叶わないという現実に、ここまで落胆するのなら、最初からそんな夢は持たなければよかった、のか?

 

これもまた一過性のもので、これまでに起きては消えてきた様々な夢のように、いつかは消えて行くのかもしれない。

それとも、信じ続けたら限りなく0に近いそれが実現するのだろうか。

あるいはやはり、奇跡は起きないから奇跡だと、とある少女の言う通りになるのだろうか。

 

どうせもう何もない人生だから、無理に諦める必要もない。

完全に潰える瞬間まで、夢を追い続けてみるのも悪くない。

そう。

だってもう、どうせ、何もないのだから。