30代独身オタの哀愁

消化試合を生きる

無力な自分と注意の話

■前々から思っているのだが、悪いとわかっていてやっている人に注意しても意味がない。

ましてや、相手がそれでヤメる可能性が限りなく0に近いなら、その注意はただの自己満足に過ぎない。

例えば、歩行者の信号無視。

安全を確認した上で赤信号を渡った大人に対して、「赤信号だよ」と言ってどうなるのか。

事故が起きて誰かに迷惑をかける心配も、子供が見ていて悪影響を及ぼす可能性も、何一つないのであれば、単に相手に恥をかかせるだけだ。

まさか本心で、心の底から見ず知らずのその人のことを思い、その行為をヤメることがその人の幸せに繋がると考えて注意しているわけではあるまい。

結局それは、嫌味でしかない。

よく注意されて逆上するケースを見かけるが、ただでさえ罪悪感を抱いてしている行為に、さらに嫌味まで言われれば腹も立つ。

 

■忘れられないエピソードがある。

いつぞや混雑している電車で、人が乗ってきているのに頑として後ろや奥に下がろうとしない人がいた。

女性だったが、思わず「混んでるんだから、そういうのなんとかならんの?」と言ってしまったが、完全に無視された。もちろん、その場を動くこともなかった。

元々思っていたが、改めて「自分がマイナスになるだけで、言ってもしょうがない」と感じた。

「バカとケンカするな。傍目にはどっちがバカだかわからない」という格言があるが、まさにそれだ。

毎日同じ時間に同じ場所から同じ電車に乗る自分としては、注意することで目立つデメリットだけが際立つ。

その人がそこで一歩下がったところで、得られるものなどごくわずかだ。ましてやその時は、状況は一切改善しなかった。

 

■注意は、注意するべき人がするべきだと思っている。

つまり、駅なら駅員だ。

ところが今朝、電車の中で優先席で若い女性が携帯電話をいじっていたのだが、通りがかった車掌がこれを注意した。

しかし、その女性は平然と無視した挙げ句、車掌がいなくなった後は通話までし始めた。

結局30分以上、延々と携帯電話をいじっていた。

何度か車掌が通ったが、二回目以降は注意をしなかった。

その点には思うところがあるが、まあ引きずり下ろす強制力がないのであれば、馬に念仏を唱えても仕方がない。

 

■結局、違法や犯罪レベルの違反をしている人に対して、無理やり制止できる強制力のある人が、その権力を行使する場合以外に、どうしようもない社会になっている。

具体的には、先月飛行機内で酔って暴れた日本人男性が、緊急着陸の後逮捕されたが、そういうこと。

それからもう一つ。

これもだいぶ前から自分の中で「結論」として存在してるのだが、最後は腕力。

怖い人に注意されたら黙る。逆も然り。

以前、急に飛び出してきた車に轢かれそうになった。

思わず運転席を睨み付けたら、怖そうなにーちゃんが乗っていて、車を止めて「んーだ、文句あんのか?」と凄みながら下りてきた。

その時にはっきりと悟った。

結局ある一定線までは、力こそ正義だと。

 

■逆上してきた相手を返り討ちにできる自信のある人以外は、悪いとわかっていてやっている人には注意しない方が安全である。

その方が良いとは言わない。

ただ、怪我をする覚悟、死ぬ覚悟が無いなら、残念だがこっちが我慢した方が賢明である。

なお、悪いとわかっていない可能性が高いケースは、勇気を出して注意してあげよう。

子供の飛び出しとか、機械に不慣れな年配の人が、明らかに危ない何かをしているケースとか。

ただし、相手が子供の場合は、良かれと思っても親に文句を言われるリスクは覚悟したい。

日本はそういう社会である。

 

※車内の携帯電話について、ここではその悪影響については言及しない。ルールとして存在しているのだから、それを利用する以上は守りましょうというだけの話。