二次元の最大の魅力は歳を取らないこと
二次元の最大の魅力は、歳を取らないことだと思う。
前にTwitterで、「自分の嫁に(30)って付けて萌えれなかったら、嫁と呼ぶな」という趣旨のツイートが回ってきて、???になった。
歳を取らない二次元キャラに、(30)と付ける行為に何の意味があるのだろう。それで何が量れるのだろう。
だいぶ前から思っているのだが、子供の頃どれだけ可愛くても、歳を取った後を見てしまうと、子供時代のその子に萌えられなくなる。
子役の女の子とかね。子供の頃はすごく可愛くて萌えてハァハァしても、10年後、20年後に、25歳とか30歳になって、すっかり好みではなくなってしまったその子を見た後、再び子役時代の写真を見て萌えられるかと言ったら、ノーだ。
どうしても「今」がちらついてしまう。
30歳になったその子を、なお好きだったとしても、本質的には同じである。子供のその子は過去になり、同じようには愛せなくなる。
自分などたまに三次元の映像でオ○ニーなどする際、昔から持っている動画を使い続けているのだが、それは二次元的な感覚である。
自分の中でその子の年齢はそこで止まっている。もし、この子も今は30歳過ぎで子供とかいるんだろう、などと考えてしまったらおしまいだ。
一部だけ切り取られた時間。そこに、枯れない花の美しさ(それは不自然な美しさかもしれないが)があるのだ。
『魔法少女リリカルなのは』という作品をこよなく愛しているのだが、1期と2期だけ見て、StrikerSは一切見ていない。
19歳になったなのはやフェイトを見たくないのだ。
19歳になった彼女たちを見たら、きっともう9歳の彼女たちを、前と同じ気持ちで愛せなくなってしまう。
これは『とらいあんぐるハート』の時からだ。
元々『2』が好きだったのだが、『3』にはまってから『2』のキャラを愛せなくなってしまった。
『3』の方が面白かったからではなく、『2』のキャラが『3』で大人になってしまったからだ。
とらハシリーズは『3』で時を止めた。ひょっとして続編が何かあるかも知れないが、自分の中では『なのは』を2期で止めたのと同じように、そこで止めた。
ゆえに今でも那美が大好きなのだ。
(パラレルワールドだが、しいて言えば『なのは』が続編)
要するに、鏡音リン(30)などという、存在し得ないものを愛せないからと言って、鏡音リン(14)を愛する資格がないとか、それは二次元では意味のない話だと思う。
「初音ミクは俺の嫁だ。だけど17歳のミクは好きじゃない」とか、大いに結構じゃないか。初音ミクは永遠に16歳なのだ。