希望のない世界から

消化試合を生きる

当たり前の範疇

今朝の新聞に、「小中学生がだらだらインターネットをしていると成績が落ちる」という趣旨の話題が載っていた。

当たり前じゃないか?

わざわざ人がお金と時間を使って研究して発表するようなことだろうか。

しかし、世の中には、インターネットと勉強を両立できている子もいるだろうし、インターネットと勉強の成績の相関を頑なに認めない人もいるだろう。

そういう人に、データを示して「こういう傾向がある」と書くことに、意味はあるのかもしれない。

「横断歩道を渡る時は、左右をよく確認しましょう」みたいな、当たり前のことを敢えて繰り返し言うことに意味はある。

人は時々、当たり前のことを忘れてしまうものだ。

それに、人によって「当たり前」の範囲が違うかもしれない。

自分が当たり前だと思っていることが、世間と大きくズレているケースもある。

つまるところ、どんなことでも、ある程度の説得力のあるデータとともに世間に訴えることは大切なのだ。

うん。

そう納得しよう。