30代独身オタの哀愁

消化試合を生きる

負け組について

「生物は本能的に、種の保存を目的として生きている」

これを前提に少し語りたい。

これから書く内容を読むと、「前提は後付けだろう」と思われるかもしれないが、現段階で前提に違和感がなければ、とりあえずそこには触れないで欲しい。後とか先とかは本題ではない。

そんなに大した話ではない。

自分は今の生活にそれなりに満足している。給料は高くないが楽で安定した仕事があり、土日祝と休みで、人間関係も悪くはない。

男に限定されるが、友達もそれなりにたくさんいて、毎週誰かしらと遊んでいる。また、一人でいた時期も長かったので、今の状態を普通とは思わず、相対的に恵まれている自覚もある。

趣味もたくさんある。趣味仲間は多くはないが、その点に不満を覚えたことはない。

恐らく、ある程度は他人に羨ましがられるレベルの状況にはいると思う。

ところだが。

リア充の「彼女とゲーセンなう」の一言に、ものすごい劣等感を覚える。電車内でイチャイチャしているカップルを見るとすさまじい嫌悪を感じるが、それは倫理観から来るものではなく、ただの嫉妬だと気付いている。

つまり、彼女も女友達もいない自分は、どれだけ充実していても、満足していても(いや、恐らく満足していないのだ)、「負け組」なのだと感じる。

それはなぜか。

もちろん、そう感じない人もいるから、個人差のある価値観なのだとは思う。

けれど、「負け組」という言葉の存在や、「結婚はしないの?」という質問の世間での登場頻度を考えると、自分の価値観は多数派だと思う。

結局のところ、最初に書いた「生物は本能的に、種の保存を目的として生きている」からなのだろう。

敗北感はむしろ背徳感にまで達しようとしている。生物としての役目を果たしていない後ろめたさ、生きている意義の希薄さ、常に付きまとう空しさ。

永遠に来ない本来の役割を待ち続けるそれを、俺は今日も自らの右手で握る。

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