ユーフォ:佐々木梓考2
前に「自分は佐々木梓があまり好きではないかもしれない」と書いた。
その理由を、「真面目で努力家なので、不真面目な自分が責められているような気分になる」と書いたが、ちょっと違う気がしてきた。
同族嫌悪だ。
『立華高校マーチングバンドへようこそ』の主人公、佐々木梓の抱えている問題・欠点・欠陥が、自分のそれと同じだったから、自己嫌悪に近いものだったのかもしれない。
梓の抱えている問題(本人はその欠点を認識はしているが問題とは思っていないようだが)は、相手にとって自分が必要ないと判断したら、その関係を切り捨てるところだ。
頼られるのが好きと言いながら、その実、頼ってくれる人がいることで自分を保っている。前に書いた通り、梓の方があみかに依存していた。
そこまではいい。
芹菜に自分以外の友人ができた時、あるいはあみかが自分の意志でガードに転向した時、梓はもはや芹菜やあみかにとっても自分は必要のない人間だと感じて、二人を切り捨てた。
これは、仲が良くて頻繁に遊んでいた友人に彼女ができた瞬間、まったくこちらから連絡しなくなった俺の行動に、とても似ている。
慕ってくれる後輩たちが可愛かったが、いざ結婚したり彼女ができたりして、彼らに自分以上の相手ができた途端、俺は彼らから離れた。結果として今、友達がいない状況になり、彼らに依存していたのは自分の方だったと知るに至る。
梓の抱えている問題はこれと同じなので、根が深い。
自分がずっと変われず、今でもこうなのを考えると、梓のこの性格や習慣を変えるのは極めて難しい。
梓は芹菜を切り捨てた後も、その時その時その場にいる誰かと仲良くやっていたし、あみかを切り捨てた後も同じだった。
最悪、その時その場に誰もいなくても、梓は一人でもなんとかできる。自分と同じだ。
誰かを必要としているが、誰も必要としていない。寂しいが踏み込む勇気はない。踏み込むくらいなら一人でいい。
梓とあみかの小説のプロットはほぼできていたのだが、梓の抱えている問題の根の深さに気付いてしまったので、ちょっとプロットを練り直す必要が出てきた。
自分がこの歳まで改善できないでいるこの問題を、どうしたら梓は直すことができるのだろう。
一つ、自分にはなくて梓にはあるもの。それは、心の底から自分を好きでいてくれる存在。つまりあみかだ。
原作者はそれを芹菜で表現して、どうしてそれをあみかでやらなかったのかわけがわからないのだが、いずれにせよ梓のこの問題をどうにかできるのは、梓のことを本当に好きな誰かしかない。
梓が問題と思っていない問題と、梓の視点であみかの気持ちを、上手く表現できるだろうか。
面白くなってきた。
『立華高校マーチングバンドへようこそ』感想
終業間際に『ユーフォ:佐々木梓考』というエントリーを書いて、帰りに『立華高校マーチングバンドへようこそ』の後編を買ってきた。
真っ先に一番最後を読む。エピローグ、それから少しずつ遡り、結末を知る。
ユーフォの秀一展開があって、この作者のことは信用していない。まったく信用していない。だから、後ろから読む。
今度ばかりは前編の流れを汲んだ結末になっているかと思ったら、全然そんなことはなかった。また裏切られた。
勝手に期待しただけだろうと言われるかもしれない。
ただ、前作だって1巻の内容でくみれい展開を期待し、最後の秀一展開で裏切られたと感じた人が実際に多かった。
これは作者のミスリードだ。もはやわざとやっているとしか思えない。
前編で芹菜という女の子は、梓にとって苦手な存在としてしか描かれていない。
地の文で「存在を意識するようになったのだった」などと書かれてはいたが、むしろ「いやいや、どうしてこの展開でそうなるんだ?」という内容だった。
まさかあの一文で、この芹菜展開を示唆したとでも言うつもりなのだろうか。
もはやじっくり読む気も起こらず、帰宅してからパラパラと流し読みした。
あみかとはどんどん離れていく。梓が無意識に突き放し、志保によって気付かされる。先に突き放したのはあみかの方だと言う。
依存していたのはあみかの方ではなく、梓の方だった。その辺も、思っていた通りの展開だ。悪くない。
ただ、そんなあみかとの関係で過去を思い出し、どんどん芹菜展開になっていくのはなんなんだ?
あみかとは最終的には折り合うが、前編のような雰囲気はない。対等な友人になったということなのかもしれないが、違う。こうじゃない。
自分の二次創作で久美子と麗奈を書いているが、二人ともべったりで共依存だが、対等であり、芯のある自分を持っている。対等と依存は共存できる。あみかが前編で言っていた梓のことを好きだという気持ちを、もっと大切に扱ってほしかった。
もうわけがわからない。この作者の展開はまったくわけがわからない。
久美子も麗奈も、香織も葉月も、そして梓もあみかも、みんな魅力的なのに、どうしてことごとくこういう展開になってしまうのか。
すごくいい食材が、意味不明な味付けで調理されて並べられた感じ。
自分の味覚が変なのかもしれない。しかし、繰り返すが前作の秀一展開で幻滅した人は多く、今回の芹菜も前編にはそんな展開のかけらもなかった。
もういい。俺が書く。
中学時代、孤立して、友達もおらず、高校で変わろうと頑張って、初めて出来た佐々木梓という大事な友達。
頼られる自分が好きであみかを利用してしまったことに気付き、改めてあみかという同級生を見つめ直す梓。
この二人の間に、芹菜という存在はまったく必要ない。
【2016/09/30 追記】
ということで、梓×あみか展開のアナザーストーリーが書き上がったので、このブログから初めて自作にリンクする。
検索で来てくださり、どうも原作の梓とあみかの関係が不完全燃焼だった百合の同士は、是非一度お読みくださいm(_ _)m
ユーフォ:佐々木梓考
前の投稿が8月25日で、「ひたすらグラブルをやっている」という投稿だった。
それから2週間弱の沈黙。何をしていたかというと、ひたすらグラブルをやっていた。
AP・BP半額期間だったので、ひたすら延々とマグナを倒し続けていた。
俺の人生、これでいいのかな……。
本日9月6日、『立華高校マーチングバンドへようこそ』の後編の発売日である。
Pixivに最初にくみれい小説を投下したユーフォクラスタの自分だが、今でもずっとユーフォがメインクラスタで、小説も投稿し続けている。
『響け!ユーフォニアム』は、最後に久美子がまったく何の脈絡もなく秀一と付き合うことになり、その展開がどうしても受け入れられない。
それゆえ、自分と、そしてくみれいの同志のために、くみれい展開の小説を書き続けている。
逆に言えば、原作のラストが秀一展開ではなかったら、自分のユーフォ小説のすべては生まれていなかったかもしれない。
昨日、立華の前編を読んでいて思ったことがある。
本当にふと思ったのだが、自分は佐々木梓があまり好きではないかもしれない。
なんていうか、完璧すぎるのだ。隙がない。目標は高く、そのための努力は惜しまず、弱音は吐かない、甘えない。演奏の能力もコミュニケーションの能力も高い。
はてなにも意識の高い人はたくさんいるが、自分が意識が低くて、なるべくサボりたい性質の人間なので、高い意識で頑張っている人を見ると、なんだか責められているような気がしていたたまれなくなる。
梓は見ていてそんな感じ。青春の輝きとは違う眩しさに、思わず顔を背けてしまう。
そんな梓だが、前編を読むと、(本人も無意識の内に)強がっているような描写がたくさんある。
家庭のことも、母親はよくしてくれるから、不満なんてないし寂しくもない。
あみかのことも、頼られる自分が大好きなのでどんどん頼ってほしい。
これを、いわゆる「普通に」解釈している。
梓は父親がおらず母親の帰りも遅い生活を寂しく思っているが、甘えてもしょうがないし、甘える相手もいないので強がっている。
あみかのことも共依存であり、実はあみかが梓を必要としている以上に、梓があみかを必要としている。
適度な距離を置いて人付き合いをすることを得意とし、友達は多いが親友のいない梓が、初めて心を許した相手。それがあみかである。
そういった描写から、勝手に梓を「強がっている女の子」と解釈し、萌えていたのだが、本当にそうなのか?
さんざんくみれい展開を匂わせて、しかも秀一なんて空気のような扱いだったのに、最後は秀一と久美子をくっつけた作者である。
立華の話も、前編の終わり方からして、梓が孤立していって寂しがって、自分の弱さやあみかの大切さに気が付いて、前以上の関係になるという展開を想像しているが、これまたそんな話にならないのではないか?
普通に梓は強いまま、完璧のまま、言ってしまえば小説の開始時点と何も変わらないまま終わるのではないか?
この作者は天然なのかわざとなのかわからないが、妙に何かを想像させる描写をするが、それがまったく伏線にならない展開をするケースが多い。
今回もそれではないのか?
そう思った時、また期待が裏切られるといけないと思ったのか、自分の想像を取り払い、書いてある内容だけを見た結果、なんだか佐々木梓という強くて完璧な女の子を、好ましく思わなくなってしまった。
くみれい小説をずっと書いている。
展開は原作とまったく違う話にしているが、舞台背景はもちろん、キャラの性格もなるべく変えないようにしている。
中にはキャラの性格をガラッと変えて書く人もいるが、自分はそういうスタイルの二次創作はしていない。読者がなるべく、「こういう話もあるかもしれない」と思ってくれるような話を心掛けている。
先日、くみれい小説の最新作を公開したのだが、その中に梓登場の伏線を張った。自分の想像した「強がっている女の子」の梓を、北宇治チームに絡めるための準備をしたのだが、本当にこの子はそんな子なのか?
後編の展開に関わらず、準備している小説は書こうかなと思っているが、梓が思っているような性格ではなかったら、性格を原作と変えることになってしまう。
もっとも、原作後編が自分の想像通りの展開をしてしまうと、それはそれで二次創作の余地がなくなってしまう。
難しいところなのだが……。
そうこう書いている内にいい時間になった。
後編を買って帰ろう。
あの前編の展開をもって、まったく梓とあみかを軸にした展開ではなかったり、あまつさえ太一と梓とか太一とあみかの恋愛系の話が始まったりしたら破り捨てよう。
前科があるのでまったく信用できない。個人的には、立華は女子高で良かったと思うのだが、太一という男を一人だけ出した作者の意図が不安でしょうがない。
近況:ひたすらグラブルをやっている
ゲームはもっぱらグラブルをやっている。
スクフェスはとうの昔に削除したし、デレステはiPhoneを変えた際にインストールはしたが、結局一度もやっていない。
モバマスは例の小日向事件以来、道場を日に1、2回殴る程度。プロダクションのノルマ的なやつである。
グラブル1本に絞ったことで、ゲーム以外の時間も取れるようになったかというと、全然そんなことはない。
むしろ最近はグラブルばかりで、他のすべてのことがストップしている。
しかもそのグラブルも、満足にやれていない。
まずそもそも、現在AP・BP半額キャンペーン中である。
マグナ編成のために、今こそマグナ狩りをし続けたいのだが、古戦場イベントがかぶっている。
それどころか今日、アーカルムの転世とかいうよくわからないイベントも始まった。
ディフェンドオーダーは完全に捨てたが、それどころか重要度の高い共闘の日課すら、最近はやれていない。
本当はカジノだってやりたいのだが、とてもそんな時間は取れない。討滅戦のMANIACも捨てている。
昨日は島ボスも巡れなかった。
自分より強い人たちは、グラブルの他にさらに他のゲームもやったりしている。
学生ならともかく、働いていて、しかも自分より帰宅が遅い人や、職場でスマホを触れない人は、一体どうやっているのだろう。
古戦場の犬EXを、団の多くの人が2、3ターンで倒せるらしい。時間にしたら1分半から2分くらいだろうか。
強くなれば同じことにかける時間が短くなり、時間に余裕ができる。
そう思っていた時期もあったが、これは違う。
強くなるためには時間がかかるし、強くなるとできることが増えて時間がなくなる。
十天衆に着手したのはもう随分昔になる。
エンドコンテンツの一つと言われて、もうソーンを手に入れたらグラブルも終了かな、なんて思っていた。
今や十天衆はソーンの他にサラーサとシエテもいて、四象のヒヒイロカネの在庫復活待ちの状態である。
シエテを取った時、やり切った感があった。
後のコンテンツはどう考えても手の届かないものばかりで、行き詰まりを感じていた。
その状況を打破したのが──打破してしまったのが、ナタクHLに挑戦したら、意外と簡単に倒せた上、風のプシュケーが手に入ったこと。
もちろん、他の人が強かったおかげではあるが、栄誉で交換する以外に入手手段がないと思われたプシュケーが手に入ったことで、ティア銃の上限が解放できた。
そして、こちらも絶対に無理と思っていたプロバハHLに入って、倒せたこと。
もちろん、他の人が強かったおかげはあるが、世間で言われている必要戦力は有していたし、最低限の役には立てることがわかった。
紫電角が手に入ったことで、自分では到達不可能と思われたフツルス化が見えてきた。
それから、クラス4ジョブ。
これは今のところもっとも遠い目標だが、1000BETポーカーができたおかげで玉鋼が手に入るようになり、本当に難しいと感じる素材は銀天だけになった。
その銀天も、すでに交換で1つは持っている状況なので、ひょっとしたらグランデを数回自発したら、集められるのかもしれない。
もっとも、ジョブマスターピースについては、まだ第1段階で止まっている。
進化させるにはサボっている共闘を相当やらないといけない。信念はもちろん、妃光の水晶も何十個と足りない。武器のエレメントも全然足りない。
他にもある。
四天刃の色を変えたり、他のマグナ武器の上限解放をしたりもしたい。
それには膨大な量の鱗や栄光が必要になってくる。
ひたすら素材を集め、エレメント化してはルピが足りなくなって共闘に行き、汁や粉がなくなればガチャを回して、ムーンを得る。
無限だ。
十天衆をエンドコンテンツだと思っていた時は、ドラクエ1でアレフガルドだけで戦っていたようなもの。
クリアしたらドラクエ2が待っていて、アレフガルドは全世界の中の小さな一つの島になってしまった。
そんなわけで、最近はひたすらグラブルをやっている。
楽しいは楽しい。もちろん、団員との交流がなければ今すぐにでもやめて構わないが、惰性でやっているわけではない。
昨日、Meetupというコミュニティープラットフォームを知った。なんかこういうのも楽しそうだ。
グラブルが無限すぎて、ちょっとそろそろ他のことをしたい感じもしている。
それには、モバマスの小日向事件のような、決定的な引退理由が必要かもしれない。
『シン・ゴジラ』で『ゴジラ』を語ってもよい?
ただの質問エントリー。
実は『ゴジラ』を見たことがない。
もしくは、幼少の頃に見たかもしれないが、記憶にない。
興味もなかったが、さすがにちょっと『シン・ゴジラ』が話題すぎて見てみたくなった。
で、『シン・ゴジラ』は、もし見たら、自分は『ゴジラ』というコンテンツに触れたと言っても大丈夫なくらい、『ゴジラ』なの?
例えば、自分はポケモンというコンテンツにまったく触れたことがなかった。
アニメも見たことがなく、ゲームもやったことがない。知っているポケモンはピカチュウだけで、しかも姿と名前が一致するという程度。
そんな自分が『ポケモンGO』をやったわけだが、それで「俺はポケモンを知ってるぜ!」とは言えないと思うのだ。
『ポケモンGO』は明らかにポケモンシリーズの中でも亜種であり、多くの人が認識しているポケモンとは違う。
昔、ルパンで『カリオストロの城』という映画があった。
もちろん、見たことのある人も多いと思うし、自分も何度か見た。
同時に、『ルパン三世』というコンテンツで、まともに見たのは『カリオストロの城』しかない。
厳密にはテレビアニメも見ていたし、映画も他に見た気がするが、やはり子供の頃で覚えていない。
自分の中で『ルパン三世』=『カリオストロの城』だが、原作者は「これは僕のルパンじゃない」と言ったとか。(悪い意味で言ったわけではない)
つまり、『カリオストロの城』はルパンらしいルパンではない。
そういう意味で、『シン・ゴジラ』はゴジラらしいゴジラなのか。
それが知りたい。
呼応する球体
昨日、京都でグラブル仲間と第2回ボドゲオフをやったのだけれど、せっかく京都に来たのなら、呼応する球体でも見に行くかと、ボドゲ終了後、食事はパスして見に行ってきた。
下鴨神社に到着したのが19時半。想像以上の混雑。
幻想的な森を歩いていたら、すぐに右手にすさまじい行列があって、呼応する球体を見るためには並ばなくてはいけないとのこと。
地獄の始まりだった。
どれくらい先なのか、どれくらい待つのかもまったくわからない。ひたすら長蛇の列を一人寂しく並んでいたら、雨まで降ってきた。
ようやく境内が見えてきたのが、21時近く。雨と孤独と空腹に耐えながら並び続け、ようやく入る手前でお金を徴収された。500円。
無料なのは呼応する木々だけで、呼応する球体は有料だったもよう。情弱乙という感じだが、下鴨神社の公式サイトの特設ページに、そんな文字は見当たらないのだが。
まあ、別に500円という金額はいいのだが、さんざん並んでお金を払って中に入って、現れたのはこれ。
なんだろう。
何かちょっと思ってたのと違う。
たぶん、木々も球体も、公式サイトの写真は全然人がいないからなんだか幻想的で綺麗なのだな。
並んでいる最中も、そこかしこから「こんなに混むとは思わなかった」という声が聞こえたが、まったく同感である。
悪くはない。面白い。
ただ、1時間半も並んで、500円払って見るほどの価値があるかというと、私は無いと思った。
見たから言えることなので、別に止めはしないが、これから行こうと思っている人は、列は覚悟した方が良い。
自分は公式の『響け!ユーフォニアム』は安心して読めない
昨日同人ショップで夏コミ4日目に参戦してきたのだが、眺めていたらなかなか良さそうなユーフォのくみれい本があった。
しかし、サンプルページを見ていたら、「何か違うなぁ」という気持ちが沸いてきて、結局買わなかった。
ユーフォに関しては、自分の中で確固たるくみれい像があって、公式を含む、それ以外のあらゆる作品が受け付けられない状態になっている気がする。
ユーフォというと、立華を舞台にした新しい小説が発売された。
どんな内容なのかと、Amazonのレビューを眺めていたら、その中に衝撃的な一言があった。
これまでのユーフォシリーズ3巻+αと同じく安心して最後まで読めます。
明らかに久美子と麗奈の友情以上の何かを漂わせておきながら、最後にまったく理解できない秀一展開で終わる、新しい形のNTRみたいな内容だったのに、それと同じく安心して読めるとは、一体どういうことなのだろう。
むしろあの秀一展開のせいで安心して読めず、先に結論を知ってから買おうとすら考えている自分としては、このレビューの意味がさっぱりわからない。
もしかして──いや、もしかしなくても、他の多くの人たちが『響け!ユーフォニアム』という作品に求めているものは、自分のそれとは違うのではなかろうか。
自分がなぜ秀一展開を嫌悪しているかについては、過去エントリー「『響け!ユーフォニアム』について」と「『響け!ユーフォニアム』についてと、秀一が嫌いな理由」を読んでもらうとして、世の中の多くの人たちは、この秀一展開に納得しているらしい。だからアニメの2期も楽しみなのだろう。
前にも書いた通り、自分も久美子の相手は秀一しかいないと思っているが、ただあの話の流れからのあの結末は、まったく納得できない。アニメの2期も不安でしょうがない。
『響け!ユーフォニアム』という作品は、久しぶりに自分の中では大ヒットなのだが、舞台背景や話の導入、キャラ設定が好きなのであって、公式の展開にはまったく納得していない。『俺妹』と同じ感じ。
『日常の隣で』という二次創作は、『4』をもって公式に沿う形の二次創作をやめ、アナザーストーリーとして書き続けている。
・久美子は麗奈とくっつく(くれみい展開)
・秀一は葉月とくっつく(葉月の救済)
・ソロは香織が吹く(香織の救済)
この3つを軸に、公式とは別の形で、流されやすい性格だった久美子が、しっかりと自分の意志を持って成長していく過程を描く。
最終的には麗奈は海外に行きプロになるような展開ではなく、久美子や他の仲間たちと音楽活動を行うような話にしたい。
公式が好きな人には公式や他の二次創作を読んでもらって、たとえほんのわずかでも、安心して公式を読めない人たちと、そして何より自分のために、これからも『日常の隣で』シリーズを書き続けられたらと思う。